釜石で出会った笑顔 @根浜海岸 宝来館


釜石から山ひとつ超えた海辺の集落、鵜住居地区。根浜海岸の宝来館(宿)の前にて(7/1)。ここも津波にのまれましたが、現在、この女将さん(岩崎昭子さん)を筆頭に、宿の再開むけてみなさんで全力でがんばっています。(宝来館や根浜の被災の様子、その後の女将さんや従業員、地域の方々の避難や交流の様子は、NHK等でも紹介されました)
今回の震災の経験のみならず、人に歴史あり.......。ふと耳にする会話に、東北人のやさしさ、ねばり強さ、なんともいえないあったか味のあるユーモア、一つ一つが身にしみて、釜石滞在中、幾度も涙したわたしでした。
二人とも、いい顔してる。出会った子どもたちもみんな。この笑顔を見たいから、復興のために何かできることをしたいから、また北へ出かけます。



大船渡・ガレキに咲くバラ


7/3(日)の夜、岩手・釜石から帰りました。約1週間の間に、釜石市内中心部、鵜住居・根浜エリア、箱崎エリア、大船渡を回りました。復興に熱い思いをかける大人達、津波を逃げ切った子ども達、思いもかけない出会いがいくつもあり、深く心に残る時間でした。
これは大船渡での一枚。津波がかぶった地に咲いた、やさしいピンクのバラ。他の庭木はすっかり枯れてしまっていたのに、そこだけポッと明るくかがやくように目に飛び込んできました。たしか唐丹(とうに)でも、ガレキの間にこの色のバラを見た記憶が...。
「枯れずに花を咲かせてくれてありがとう...」毎回シャッターを押す前に、自然と手を合わせている自分がいました。




今日から釜石へ


いろいろな用をかねて、今日から再び釜石へ。1週間ほどの予定です。
現地の現在の様子、またゆっくりと紹介していきたいと思っています。(2011.6.24)



釜石の元気少年H


6月末、再び釜石へ行ってきます。小学校の子ども達、そして親戚のこのHaru君や家族みんなに会うのが楽しみ。
津波で家を流されても、今日を生きる子どもたちは、思いっきり遊びたいし、笑いたいし、泣くこともあるし、お腹は空くし、ぐっすり眠りたいし、とにかくパワーあふれる「子ども」=希望なのです。
今度会ったら、何して遊ぼう。いっぱいおしゃべりして、かけっこして、クイズして、折り紙して、手品見せて、宿題手伝ってあげて......被災地に行くことが、実はわたしが元気をもらいにいっているのだと、ふと気づく一瞬。(2011.5月撮影)



白山小の子ども達2 @ 釜石市


こちらは、1・2年生のみんな。
「みんなの好きな食べ物を教えてくださーい!」と質問したら、「いちご」「ケーキ」「カレーライス」などの他に、「新来軒のラーメン!」「ホルモン!!」と大きな声で答えてくれた男の子が3〜4人いました(3・4年生でも)。実は新来軒も津波で流され被災されたとのこと。でも子どもたちのこの熱望の様子からも、なんとか再建してほしい...そのときは、わたしもホルモン+ラーメン大盛り、絶対食べに行きます!
他に、こんな答えも。「ぼくのすきなものは、魚の頭です!」。思わずみんなで顔を見合わせ「ん?.....ワッハッハ!!!」。海辺の町に生きるこの子たちの大らかさ、地元でとれる海産物の豊かさ・おいしさ、親御さんの愛情など、いろんなことが感じられて、なんともあったかい気持ちになりました。 
子どもって、ほんとうに、わたしたちみんなの宝物です。



白山小の子ども達1 @ 釜石市


5/11、白山小学校のお子さん達と交流してきました。実はここは、今回の震災がなければ親類のHaru君が入学するはずだった小学校。高台にあったことで津波の被害を受けずに住みましたが、先生方やお子さん達、そしてご家族の中には、被災された方々も多くおられます。中にはやむなく転校をしたお子さん達もいるとのこと。
お昼をはさんで、3・4年生、1・2年生といっしょに1時間ずつ、お話ししたり、ゲームや折り紙をして、楽しくすごしてきました。
みんな「次はなにをするんだろう?」と、好奇心いっぱいのきらきらした目で、ほんとうにかわいらしかった。わたしにできることなどちっぽけなことですが、こんなかわいい子たちがこれから先、震災のことでうつむいたり涙を流すことなどないよう応援していきたいと思っています。元気いっぱいの3・4年生のみんなです!



鵜住居地区の海岸


釜石の中心街から北へ約5キロの鵜住居地区。根浜海岸方面から市街地を臨む一枚(5/14)。地震前は、写真の中ほどまで白い砂浜が広がっていたそうです。三陸の海沿いの地盤沈下は、地域によって約30cm〜70cmにも。
この道を先に進んだところに、釜石東中学校と鵜住居小学校があります。地震直後、釜石東中学校の生徒さんたちが自らの判断で避難を開始、小学校の生徒さんたちも共に高台へ逃げ、600人近い子どもの命が助かった事実は、かなしいニュースが多い中、一筋の光明であり、わたしたちに様々なことを考えさせてくれます。
5/12は、この鵜住居地区の方々が避難されている、釜石市街地の小学校体育館で物資の仕分けなどのお手伝いをしました。仮設住宅、一日も早く、そして地域の顔見知りの方々がいっしょに入れますよう...。



乗り上げた船 @釜石港


津波の威力に、ただただ圧倒されたシーンでした。「アジアシンフォニー
(M.V. Asia Symphony)」(4724トン)。津波で港から陸に乗り上げ、
その後の引き波で海の方へ戻っていったものの、防波堤に引っかかって(船
首が乗り上げ)今に至るもの。海が怒った...そんな言葉で片付けられるも
のではありませんが、真下から見上げ、身震いしました。(2011.5月撮影)



釜石の海と堤防


5/13日に、釜石大観音(町の中心地から車で約10分)から撮った海。ふだんはこんなに静かで美しい、三陸海岸の景色なのです。
写真中央より少し上、海に横の線が見えるでしょうか。これが全長2キロ、深さ63mの海底から作られ、世界一深いことで知られた湾口防波堤。あの津波で壊れ、遠目でも崩れた状態がうかがえます。結果的に倒壊したとはいえ、これがあったことで市街地への浸水を6分遅らせる効果があったということ...。
その6分の間に高台へ逃れた人、大事な物を取りに家に帰ってしまった人、道路で混乱した車の誘導・交通整理をしていて津波にのまれた人、いろいろいろいろ...。人の命の数だけある、さまざまなエピソード。
今の海が静かな分だけ、ガレキとのギャップが大きく、適切なことばがみつからないのでした。



岩手県釜石市へ 


5/10〜15まで、釜石へ出かけていました。海辺に住んでいた親類が家を流され被災したため、何かできることはないかと思って。再開した東北新幹線と在来線を乗り継いで片道約5時間半の道のり。
この景色は、親類が抽選で当たり、入ることができた山の麓の仮住まい(釜石市平田地区の雇用促進住宅)から撮ったもの。ガレキに埋まった海辺から車で5~6分走ると、山はいつもの春と変わらぬ新緑の美しい景色。小学校に上がったばかりのHaru君がわたしの袖を引っぱって、「きれいだろー! 緑の濃いトコがおにぎりのノリみたいだから、おにぎり山なんだ!」と教えてくれました。壊れ果てた家や町並みと、この静かな山景色の両方を小さな子が頻繁に目にして、心の深いところにどんな思いを積もらせているんだろう...。
滞在中、夜中〜明け方にかけて体に感じる余震が数回あった日が3日。その度にハッと目を覚まして枕を抱えていました。被災地の多くの方々が疲労と寝不足が蓄積している今、まずはゆっくり安心して眠れる場所を確保することが何より必要なことじゃないだろうか...。でもそこにも、さまざまなジレンマがあるのも事実。
釜石で見て来たこと、感じたこと、少しずつアップしていきます。