2016-12-23

ことばのカメラ 俳句


先週、釜石の桑畑書店さんに立ち寄った。

津波の大被害を受けたにもかかわらず、今、仮設店舗でがんばっている書店さんだ。

ご主人の桑畑さんに「これ、知ってる?」と教えてもらったのが、この本。

著者の照井翠さんは、当時釜石市内の学校の先生をしていたと聞いた。

3.11以降の日々を、たった十二文字で写し取る。すごい。

わたしもことばをつむぐことを生業としているけれど、この句集を読むと、自分の甘さに胸がヒリリとする。でも、ものすごく勉強になる。

映像、写真、ルポ、音声、記録にはいろいろあるけれど、句という方法も同じくらいだいじなものではないかと思った。

桑畑さん、教えてくれてありがとう。わたしも近づきたい。

 

 

釜石の根浜海岸。地域のみなさんが決めた、震災前と同じ高さの防潮堤




2016-12-20

釜石の冬の風物詩


今、釜石におります。
時折、雪がちらつく岩手沿岸部です。
数日前、浜の知り合いの漁師さんのところに顔を出したら、
ホタテの収獲作業真っ最中。
秋の台風被害で大打撃を受けたものの、からんだ養殖棚のロープをほぐしたり、貝を拾ったりして、なんとか少しでも収穫をと、がんばっています。
昨日、釜石の山側の甲子地区をウォーキングしていたら、
おおっ! 軒先に自家製新巻鮭! 仮設住宅でも、
1本2本、時折干しているのを見かけます。
地域色たっぷりの師走の景色。いいものです。
とっても寒いけど……。
でも、三陸の海の幸はこの季節がいちばん。
みなさん、きたんせー!

 

 




2016-02-07

はいじ


最近はこんなかっこうの日々。

15年前にアメリカで買ったポンチョ。

6〜7年はかぶっている鳥打ちっぽい帽子。

釜石の農家の父さんから一言。

「おめさ(お前さん)、ハイジみてだな。」

……かなりうれしい。

 

 

 




2016-01-31

まもなく絵本が


釜石に、「こすもす公園」という公園があります。

震災後、それまであった公園に仮設住宅が建てられ、

子どもたちの遊び場がなくなってしまったことを危惧した

ご夫婦と、その仲間たちがつくった手づくり公園です。

そしてその後、公園の前に建っている工場の暗い灰色の壁を、

たくさんの人の力で明るい絵に塗り替え、

高さ8m×幅43mの大壁画にしてしまったという、

すごい(すばらしい)事実。

昨年からこの公園をずっとお手伝いしていましたが

ようやくそのお話の絵本が完成しました。

『あしたがすき 

 〜釜石の「こすもす公園」ときぼうのへき画ものがたり〜』

書店に並ぶのは、2月6〜7日ごろから。

すてきな大人たちの奮闘、ぜひみてください!

あ、ポプラ社刊、でした。




2016-01-30

Gパンが立つ


物干からGパンを取り込もうとすると、

ミシミシ、しんなり。

まるで「のしイカ」のようでありました。

寒さきびしい東北の冬。

初めての体験がいっぱいで、毎日、目がまん丸。

それにしても、雪山と空が美しい。




2016-01-25

雪の釜石


釜石での生活も、5ヶ月が過ぎました。

そうなんです、実は今、釜石の山側で暮らしています。

夏は涼しくてラッキーと思っていましたが、

冬の肌を刺すような寒さには、絶句…。

「ホントの寒さはこれからだよ」

ギョッ。果たして耐えられるか心配ですが、

今日も「エイやっ!」とばかりに雪かきを。

体ポカポカ、頭もすっきり。

寒さ対策は「雪かき」か…がんばっぺし。

 




2016-01-22

ひとあし早くおひなさまat 釜石


絵付けびな、

2月中に、釜石のこすもす公園で

体験教室を考えています。

 

 

 

かわいいでしょ?




2015-08-06

新聞記事に載りました


実は、6月に共同通信さんの取材を受け、

以前に書いた絵本『ヒロシマのいのちの水』

のことをお話した記事が、新聞に載りました。

(記者の方がまとめてくれました)

おはずかしいですが…。

宇根さんを、思い出しています。

下の写真は、わたしの大好きな写真。

自分でも、世紀のワンショット…

くらいに誇りに思っている。




2015-08-06

8.6.の朝 ヒロシマ


朝7時すぎの、平和資料館前。

原爆が落とされてから70年という節目、

また各国の要人もたくさん来ることもあってか、

あふれんばかりの人。

宇根利枝さんの「原爆献水」を引き継いでいる

谷君が、今日未明に己斐の滝へ行き、

身を清めてから汲んできてくれた清水

(左から二番目のペットボトル)。

地道につづけてくれている活動に、感謝。

きっと、宇根さんも空の上から笑顔で

見守ってくれている…という実感。

つづけていくことのたいへんさはあるけれど、

それを影で支えていきたいと思っている。

 




2015-08-05

再び ヒロシマから


昨日家を出て、大阪に寄り、

今日午後にはヒロシマに。

 

明日の朝、どこで8:15を迎えるか…

平和公園の記念式典、とも思うけれど、

あの日から70年の今年、

わたしは心静かに祈りたい気がする。

広島城跡、もと大本営の司令室があった地下壕。

そのとなりにあるのは、比治山女子高等学校の

慰霊碑。

70年前、ここで大本営の通信の任務に

ついていた少女たちがいた。

被爆した一人一人、それぞれの被爆体験。

ヒロシマを訪れる人、子どもたちに、

一度はたずねてもらいたい場所だ。