ヒロシマとの縁 海田のヒマワリおじさん
ヒロシマとご縁ができたのは、そのそもこの方と2005/1/17、神戸の震災慰霊の催し会場で出会ったのがきっかけでした。広島市のお隣、海田町から来ていた田原利春さん(海田町ひまわりの会)です。
その場では簡単な挨拶だけで終わったものの、やがて手紙で交流が始まり、親交を深めていきました。以来神戸に出かけるときにヒロシマ・海田へ足を伸ばすようになり、そのご縁で被爆ピアノや宇根さんとの出会いがありました。
海田町の町花はヒマワリ。もう20年以上町でヒマワリを育てています。そして子どもたちに「命のだいじさ」を肌で感じてほしいという思いから、神戸・震災の「はるかのひまわり」も。今はそのお隣に「あいりちゃんのひまわり」も...。
田原さんの日に焼けたお顔は、愛情の深さと熱意の勲章です。それを支える幼稚園や保育園、学校、商工会や地域の方たちにも「かがやくヒマワリ賞」をあげたいくらいです。(ヒマワリは2010/11/6海田で撮影)
その場では簡単な挨拶だけで終わったものの、やがて手紙で交流が始まり、親交を深めていきました。以来神戸に出かけるときにヒロシマ・海田へ足を伸ばすようになり、そのご縁で被爆ピアノや宇根さんとの出会いがありました。
海田町の町花はヒマワリ。もう20年以上町でヒマワリを育てています。そして子どもたちに「命のだいじさ」を肌で感じてほしいという思いから、神戸・震災の「はるかのひまわり」も。今はそのお隣に「あいりちゃんのひまわり」も...。
田原さんの日に焼けたお顔は、愛情の深さと熱意の勲章です。それを支える幼稚園や保育園、学校、商工会や地域の方たちにも「かがやくヒマワリ賞」をあげたいくらいです。(ヒマワリは2010/11/6海田で撮影)