祖父の古い写真
年が明けて数日後、実家の母から
「これ、お願いできる?」
と渡された一枚の写真。母の父親(わたしからすると母方の祖父)の、若いころの写真だった。複写してほしいという。
暮れに母が実弟に会ったとき、持っていたものを借りてきたらしい。
「おじいちゃん、若いころはキリッとした顔してたねえ」
母がポツリ。
祖父・卯一郎は、わたしが小6の秋に亡くなった。当時80代後半。
その記憶はとてもぼんやりしたもので、夏、古い農家の二階(昔、蚕をやっていた広い部屋)で上半身は裸、薄手の股引みたいなのをはいて、片膝ついて団扇をパタパタやっていた姿だ。だいぶやせて動作もゆったりしていて、わたしが二階に上がって顔を見せると、
「おお....... かずこ... かぁ....」
と、顔をこちらに向けて、にっこりしたのかどうかもよくわからない表情で声をかけてくれた。卯一郎おじいちゃんとの会話で覚えているのはそれくらい。でもおだやかな、優しい声は耳に残っている。
とはいえ同居していた父方の若々しい祖父と比べると、子ども心に(卯一郎おじいちゃんは、おじいちゃんっていうより、ひいおじいちゃんみたいだな)と思っていた。
その祖父の、若かりしころの写真の表情は思ったより凛々しくて、わたしの中で印象がガラリと変わった。隣の軍服の若い青年は、祖父の年の離れた弟だという。
弟が戦争に行く前に、記念に撮ったものか。メモも何もないのでいつ撮ったものかはっきりわからないが、多分祖父が40代前半か...。
養蚕と畑と米作りで朝から晩まで、とにかく働きづめだったという祖父。初めに結婚した妻とは二人の娘をもうけるも、その妻は病気で亡くなり、のちに結婚した相手がわたしの祖母になる(母の実母)。親せきの口利きで夫婦になるも、年の差は約15才。どちらも苦労が多かったようだが、二人の間に四人の子が生まれる。
当時は暮らしも豊かではなかったと母に聞いていたので(母は高校に行かせてもらえなかった)、こんな紋付袴で膝には帽子まで置いて写真を撮るハイカラな印象は、ほんとうにびっくりだった。帽子は写真館で借りたものかもしれないけれど...
『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本づくりで鈴木六郎さん一家の写真に出会ってから、色々な古い写真に目が留まるようになっていたけれど、灯台下暗し。我が家の、わたしにつながる写真はまだちゃんと見ていなかった...。
一方、わたしの父方はというと、曽祖父は大正期にアメリカへ渡った移民だ。家族を置いて一人渡米、事情があって亡くなるまで日本に帰国することはなかった。
一時期、この曽祖父のことが気になって移民のことを調べたり、アメリカまで調べに行ったこともある。たしか実家の物置の奥に、その曽祖父関係の写真があったような...
日々のことに追われて、この15年ほど、それもほったらかしにしていた。
今の自分が存在するのは、その人たちの存在があったからだ。
卯一郎おじいちゃんのことも、アメリカへ行った曽祖父のことも、調べるなら今だ... そんな気がしている。