『ヒロシマ 消えたかぞく』(写真絵本)

指田和  写真/鈴木六郎(2019年刊・ポプラ社)

太平洋戦争末期の1945年8月6日、広島に落とされた一発の原爆によって、多くの人々のいのちがうばわれました。市内の播磨屋町に住んでいた鈴木六郎さん一家は、六郎さん・フジエさん夫妻、そして英昭くん、公子ちゃん、護くん、昭子ちゃんの4人のお子さん全員が、原爆によって命を絶たれました。

親せきの家に預けられていたことで焼け残った、一家のアルバムやたくさんの写真。これらを編み直し、家族のアルバムのような一冊にまとめました。戦時中でも確かにあった、あたたかな暮らし、子どもたちの笑顔。それらが全て奪われたことの重さを、共に考えたいと思って作った一冊です。

(第10回広島本大賞・特別賞/第66回青少年読書感想文全国コンクール課題図書)

 




絵本『ぼんやきゅう』〈ポプラ社〉

文/指田 和 絵/長谷川義史

岩手県釜石市の鵜住居地区で、毎年お盆の時期に開かれてきた、父ちゃんたちの熱い戦い「盆野球大会」。東日本大震災後はそれどころでなかったが、じょじょに復興が進む中、父ちゃんたちの野球熱がよみがえる....。

60年の歴史ある立派な優勝旗が、なんと津波に流されずに残ってた!? 「なんとかなるべか...」「よし、だば、今年の8月15日に開催決定!」ーーそして、7年のブランクを経て盆野球大会が開催!

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2016年夏、ふとした拍子に釜石の知り合いから聞いた「ぼんやきゅう」という言葉。(それ、なんだ?)から取材を始め、皆で2017年夏の大会開催にこぎつけた、思いのこもった1冊です。

帯の「一緒に野球をした人のことは、絶対にわすれない。」埼玉西武ライオンズ・菊池雄星投手のことばが、この1冊の全てを物語ってくれています。長谷川義文さんのすばらしい絵を、ぜひご覧ください。(さしだ)




『はしれ、上へ! つなみてんでんこ』〈ポプラ社〉

文/指田 和 絵/伊藤秀男

東日本大震災の発災時、岩手県釜石市の子どもたちは、日ごろから学んでいた津波防災の知識や避難行動を活かし、多くのいのちが助かりました。

この絵本は、中でも海に近い場所に学校があった鵜住居小学校と釜石東中学校の子どもたちの、当時の避難の様子から被災後の生活までを描いています。すべてが、彼らの生の言葉・体験です。

その時できる最善を尽くし、子どもたちが助け・励まし合って命を守りぬいた行動や思い合う心には、数え切れないほど学ぶ点があります。

*別刷り「てんでんこ新聞」付き。

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震災後、鵜住居の子どもたちと長く関わりながら、彼らが精一杯話してくれた体験を、「ぼく(主人公)」の視点でまとめた一冊です。「津波/命てんでんこ」という言葉は、決して「自分だけが助かればいい」というものではなく、「自分のいのちは自分で守る」=「自分たちのいのちは自分たちで守る」ことを、私は彼らから学びました。

子どもたちは宝、そして希望。この1冊が、海(自然)とのつき合い方、いのちについて、じっくり考えるきっかけになれば幸いです。(さしだ)

 




『あしたがすき』〈ポプラ社〉

副題 〜釜石「こすもす公園」きぼうの壁画ものがたり〜  文/指田 和 絵/阿部恭子(ポプラ社)

2011年3月11日、東北の海のおきで大地震がおこりました。

海辺の町には大津波がおしよせ、町はみるまにのみこまれていきました。

つなみにのまれずにすんだ公園やあき地には、たくさんの仮設住宅がたてられ、こどもたちの遊び場がなくなってしまいました。

「こどもたちを、思いっきりあそばせてやりたい」「こどもたちの笑顔を、とりもどしたい」

そんな老夫婦の思いから、岩手県釜石市の山あいにつくられた「こすもす公園」と「きぼうの壁画」のものがたり。

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2015年秋〜釜石市にしばらく住み込み、この公園のお手伝いをしながら取材、作り上げた絵本です。子どもたちのために、大人たちが大奮闘。こんな公園が、日本の、そして世界のあちこちにできることを願ってやみません。

絵は、本物の壁画の絵をデザイン&描いた、画家の阿部恭子さんが描いています。完成した壁画を大画面で見せるページ(観音開き:4ページ)は圧巻です。(さしだ)




絵本『あの日をわすれない はるかのひまわり』(PHP研究所)

文/指田和子 絵/鈴木びんこ

〈story〉 1995年1月17日早朝に神戸をおそった大地震・阪神淡路大震災。当時小学6年生だったはるかちゃんは、こわれた家の下敷きになって命をおとしました。 その夏のこと。はるかちゃんが亡くなった場所に、大輪の花を咲かせたひまわり。力強く咲く花から、多くの人が希望と勇気をもらいます。やがてこの花は「はるかのひまわり」と呼ばれ、神戸復興のシンボル・フラワーとなっていきます。




絵本『ヒロシマのいのちの水』(文研出版)

文/指田 和 絵/野村たかあき

STORY
 
ヒロシマで50年以上に渡り、原爆慰霊碑に清水をあげ続けている一人のおばあちゃん・宇根利枝さん(91歳)。昭和20年8月6日、原爆が投下されたヒロシマで、宇根さんはひん死の重傷を負った人から水をもとめられます。しかし、結局水をのませてあげることができませんでした。
戦後、市内で小さな滝をみつけた宇根さんは、「この清水を、原爆の慰霊碑にお供えしよう」と決心しました......。宇根さんの献水活動を時折お手伝いし、語り合いながら書き上げた絵本です。
宇根さんは2012年に亡くなられましたが、宇根さんの信念は、確実に次の世代に引き継がれています。




絵本『海をわたったヒロシマの人形』〈文研出版〉

文/指田 和 絵/牧野鈴子

STORY
 2009年、広島平和記念資料館に展示されていた、赤い着物の小さな人形。これは戦後、アメリカの兵士によってヒロシマのガレキの中でみつけられ、知り合いの女性(テキサス在住/ナンシーさん)に贈られたものだった。60年にわたる長い年月、人形を大切に保管してきたナンシーさんの思いとは、また人形を広島平和記念資料館に寄贈したわけは.....。著者自らテキサスへ出かけ、取材・交流する中で見えてきたナンシーさんの「平和への思い」。
 



絵本・『ヒロシマのピアノ』(文研出版)

文/指田 和 絵/坪谷令子

STORY
1945年8月6日、原爆が落とされたヒロシマ。爆心地から約1.8km・千田町のミサちゃんの家にあったピアノは、燃えて灰になることもなく、奇跡的に残りました。ただ、ボディには割れたガラスがささり、被爆の痛々しい爪痕が。
あの日から60年以上たった平成17年の夏、このピアノはヒロシマのピアノ調律師・矢川さん〈被爆2世〉に託されました。ピアノは現在「被爆ピアノ」と呼ばれ、全国を平和コンサートで回っています。

●付録:被爆ピアノが奏でる音色CD「綿のぼうし」作曲・演奏 山田紗耶加




絵本『ライオン先生の聴診器』

文/指田 和子 絵/小島幹子

〈story〉 昭和初期、無医村だった広島県双三郡田幸村(現・三次市田幸地区)に一人の医師が赴任。村人たちに請われ、診療所を開いた中村伸久医師がその人。一見こわそうな風貌から「ライオン先生」と呼ばれるようになりますが、約60年に渡る歳月を地域の人々のいのちを守ることにかけて生きました。「共に生きよう 共に死ぬまい」は、中村医師が地域の人々・子どもたちに贈ったことばです。 地域史を熱心に学ぶ地元・田幸小学校の取り組みも紹介(CD付き)。聖路加病院の日野原先生、日本赤十字社の近衛社長からのメッセージも。 (発刊:ライオン先生の聴診器・発刊委員会2009)

●お名前入れなどのご希望がありましたら、注文票でお知らせください。



『ライオン先生の聴診器』

税込1,430円
(消費税10%)
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