2022-11-09

ヒロシマでの対談が記事に(朝日新聞11.5夕刊)


11/2〜6まで、広島へ出かけてきました。

今回の一番の目的は、『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』本で紹介した鈴木恒昭さんと奥本博さんを引き合わせ、昔話を心ゆくまでしてもらうことでした。

お二人とも90代で、奥本さんは市内の本通にお住まいですが、恒昭さんはお隣の府中町在住。取材時はそれぞれのご自宅を訪ねてお話を聞いたり、喫茶店でお茶をしながらお話ししたりと別々にお会いしていました。

ただ、取材を進めるうちに、〈年齢が一つ違いで二人とも袋町小学校卒業〉、〈どちらも少年時代、広島の繁華街だった本通り沿いで友達やいとこたちと走り回って遊んでいた〉など他にもいくつも共通点があることがわかり、今まで面識はなくても、話をすれば共通の思い出話で良い時間が過ごせるのでは...と感じていたからでした。

しかもお二人とも、大事な家族やお身内を原爆で亡くされている。

また奥本さんは、時おり「鈴木さんとお会いしてみたいものです」と言っておられ、本が完成した今、取材でお世話になったお二人を引き合わせる事こそ、わたしの役目だと思いました。

貴重な時間をわたしだけのものにしてはいけないと思い、新聞社・通信社などにもお声をかけさせてもらいました。

・・・

お二人の体調も考えて、2時間弱... と考えていましたが、会うなり「袋町小学校校歌(戦時中は国民学校)」を元気に口ずさみ、当時の先生のことや、流行った遊びのこと、新天地(繁華街)の怪しく面白かった大道芸の話など思い出話に花が咲き、気がつけば約3時間。

話の中では、原爆や家族・親せきが亡くなった時の心情、また現在の世界状況(ロシアのウクライナ侵攻など)を、原爆を体験した者としてどう感じているかなど、大事なお話も聞くことができました。

記事は、11月5日(土)の朝日新聞夕刊に掲載されました。また朝日新聞デジタルでも読むことができます。ぜひご覧ください。

https://www.asahi.com/articles/ASQC543LLQC2UTNB017.html

p.s.

対談で、新たにわかった事実がありました。奥本さんのすぐ下の妹さんと、恒昭さんが慕っていた従姉妹が、広島県女(当時の広島県立広島第一高等女学校)の1年生(同窓生)だったことです。

もしかしたら、クラスが同じだったかもしれない。仲の良い友達になっていたかもしれない。

でも.... 原爆はその二人のいのちを奪いました。当時、県女の生徒たちの多くが市内の建物疎開作業に駆り出されていたのです(県女の1年生だけでも223人が死亡)。どちらの家族や親族も焼け跡を必死で探し歩いたそうですが、行方不明のままです。

二人が知り合っていたかどうかは、もうだれにもわかりません。

思い出を語る時間は、温かい思いになったり、胸がしめつけられる思いがしたり。複雑な気持ちですが、熱心に語るお二人のお顔を見ていて、(やっぱりこの時間を作ってよかった)と思った秋の一日でした。

写真は、11/5の午後、おりづるタワー10階のエソール ひろしまのテラスから撮った平和公園



2022-10-29

草取りと ことば


秋晴れの良い日。今日も午後から畑へ。

修行のように黙々と草取りをしながら、ぐるぐるグルグル、頭の中ではいろんなことを考えています。

堂々めぐりをしているようで、ふっと思わぬひらめきがあったり、むかーし昔のことを思い出して、(あの時、あの人はこう言ったけど、それって別な意味があったのかな...)などとドキリとしたり。

体を動かしながらなので、妙に「思い」に執着することなく、風が吹くように水が流れるように、頭の中をサラサラと物事が流れていく感じが、わたしにはなんだかとても心地よいのです。

ことばのことも、よく考えます。

最近よく自分の中でめぐるのは、

「必死」じゃなくて「ひたむき」っていいな

「正しいこと」と「大切なこと」は違うよな.....

なんでもないことのようですが、文章を書く人間にとっては、結構こういうことは大事な気がします。

ついつい草取りに熱中して、固まった腰を伸ばそうと顔をあげると、目の前をトンボがスーッ。

・・・

来週は広島。秋空をあおぎながら、お世話になったあの人、この人、あちらの世界に先に旅立たれた方々のお顔を思い浮かべています。

特に、本でも書かせていただいた、兒玉光男さんのことを思う今日です。




2022-10-22

脱穀作業!


昨日は快晴だったので、やっとのこと、手刈りした稲の脱穀作業を。

ミニ田んぼにビニールシートを敷いて、二人で重さ30kgの足踏脱穀機をえんやこら。

非常に原始的な方法ですが、手間がかかろうが疲れようが、稲がどうやってお米になっていくかをちゃんと意識しておきたくて、こんなことをやっています。

この脱穀機は、足で手前(下)のペダルを踏むと中のボツボツ突起があるドラムがぐるぐる回る仕組み。この口の部分へ穂を下にして稲束を突っ込むことで、ボツボツに引っかかった穂の粒(モミ)がしごかれる形で、向こう側にバラバラ落ちるわけです。ゴロンゴロンとドラムが回る音に、脱穀時のガーッガーッという音はちょっとうるさいけれど、仕方ない。

二人で結構汗だくになって約2時間。こんなことやってる人はもう滅多にいないので、遠目で眺めていくご近所さんもちらほら。

初めてこれを使って家の駐車場で作業をした3年前は、「いや〜懐かしい。昔はこうやって脱穀したなあ。今時こんなの見られると思わなかった」と声をかけて来る方も。

この後、もう少しモミを乾かして適度な水分になったら、「もみすり」をする予定です。

疲れたけれど、「米、作ってるぞ!」って達成感抜群。

これの購入時、電動の機械を買うか迷ったわたし。しかし足踏みの2倍の値段だったので断念。まあ、体を動かして作業することが目的なので...
 



2022-10-14

ヒロシマの貴重な証言 平和資料館の動画


『ヒロシマ  消えたかぞく』、『あしあと』本の取材でお世話になった、鈴木恒昭さん。鈴木六郎さん一家のご親せきです。

恒昭さん自身も、あの原爆を体験されています。当時中学2年生。

広島平和記念資料館では「被爆証言ビデオ」を作成していて、つい先日、恒昭さんの証言もyoutubeで観られるようになりました。

ご自身の体験、そして六郎さん一家についても語っています。

https://www.youtube.com/watch?v=P01X86jLP7U

 

わたしもお宅にお邪魔すると、いつもこんなふうに恒昭さんのお話を聞かせてもらっています。時に身振り手振り。

情感あふれる恒昭さんのお話を聞いていると、わたしは、頭に浮かぶ当時の風景に彩りがほどこされていくような印象を受けます。

『消えたかぞく』絵本がああいう形で完成したのも、恒昭さんの人間味があったからこそと、改めて感じています。

 

記録って本当に大事。それぞれが、その時々でできる様々な方法で残すことが、戦争であれ原爆であれ人であれ、後にその「対象」を立体的・多面的に捉える基盤、貴重な材料になると、わたしは信じています。




2022-10-11

秋のかたち


今日は気持ち良い秋晴れ。

雑誌の仕事の合間に、ちょっと外へ、ほんのちょっと畑へ...

と長ぐつをはいて出かけると、やっぱり10分では帰ってこられないのは、いつものこと。

ヒマワリのタネって、どうしてこんなに規則正しくそろっているのかな。

わっ、今年はゴマが豊作! あの小さな一粒から芽が出て育った1本の茎にサヤがいくつもできて、その中にゴマがびっしり。1本で多分500〜600粒は あるんじゃないかなー。この夏はカンカン照りで暑かったけど、ゴマにはあっていたんだなあ。

 

畑はエンドレスでやることがあるので、それがとっても楽しい。

が、雑誌の仕事が.... デスク仕事は夜中にがんば!

ここのところ、さねとうあきらさんの本を読み直しています。
心打たれます。こういう作品をわたしも書きたい。



2022-10-08

2022.11月に 山形で図書館トーク


少し先ですが...。

お声をかけてくださった〈弦 地域文化支援財団〉の遠藤征広さんとは、20年来のご縁。遠藤さんが劇団こまつ座(井上ひさしさん立ち上げ)におられたころ、わたしは仕事の関係で(出版の関係)、時折都内・柳橋のこまつ座へお邪魔していました。

 

久々に山形へ、そして遅筆堂文庫へ。

ヒロシマの絵本のお話、じっくりしてきたいと思います。




2022-10-05

ぜひ読んでほしい一冊『秋』


8月後半、「豊田市 平和を願う戦争展」に講演のお声かけをいただいて、愛知県豊田市へ出かけてきました(催しは8/27〜28 詳細は、後ほど「お話会」のコーナに)。

2日目の午前中に「ののはな」さん(朗読の会)による「絵本の読み聞かせ」があり、そこで朗読を聴いたのが、この絵本です。かこさとしさんの没後に出版された、貴重な絵本『秋』です。

戦争のむごさ、理不尽さ、胸をしめつけられる...いや、えぐられるような切なさ。

かこさんが体験した「戦争」を通して、わたしはものすごく心をゆさぶられました。

秋は自分の生まれた季節であり、実りの秋で大好きな季節ですが、今年は切なさが増しています。

 

田んぼ・畑仕事の合間、小さな秋を探しに、少し散歩。

 
 
 
 
 
 
アズキは、去年のこぼれ種から育ったので、草ボウボウの中で虫にも食われて少ししか採れなかったけれど、うれしい。



2022-10-02

ミニ田んぼの稲刈り


お天気が続き、実家の稲刈りもひと段落。

我が畑内にある、小さな田んぼを手刈り開始。

台風や大雨で稲がだいぶ倒れてしまい、どうなるかと思いましたが、穂はふっくらでまずまずの実入り。

こうやって汗をカキカキ、自分たちの手で刈ることで、もともとの米作り作業の段取りもわかるし、田んぼにもお米にも愛着がわくのです。何より楽しい。

稲を刈った後の田んぼの香りをかぐと、ハーっと落ち着きます。

ハイジの干し草ベッド、みたいなもの...かな。

古い物干し竿やら取っ払ったフェンスなど、いろいろ持ってきて脚立に据えて、干せるだけ干す!
が、この後、古い物干し竿が稲の重さでボキッ...  
農作業はハプニング続き。それがまた面白い。
 
今日もこれから、最後の稲刈りの手伝いです。



2022-09-29

『あしあと』本ができるまで インタビュー記事


       

本のプロフィールに使った写真。麦わら帽はいつも農作業にかぶっている10年の年季物。

 

そんなわけで、やっとの事でできあがった今回の本『ヒロシマ  消えたかぞくのあしあと』。

本ができるまでの経緯や苦労、また、わたしがいつも大事にしている気持ちなどをポプラ社の編集担当・小堺さんが丁寧にまとめてくれました。

https://note.com/poplar_jidousho/n/n7ff2a540f9f5

 

本は一人では作れません。企画当初からずっと伴走をし、アドバイスや励ましをくれる人がいたからこそ。

多くの人に支えられての一冊。だからこそ完成した時のよろこびも何倍にもなるわけで、わたしはこういう共同作業が大好きです。

 

ぜひ、ご一読を。

p.s.

足の捻挫、この数日で腫れも完全に消えてやっと治った...!

若いころとちがって、回復までの時間が長い... トホホ。

ヤケドはもうちょっとです。

 




2022-09-27

『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』の本


長い時間がかかって、この夏(7月後半)やっと、『ヒロシマ 消えたかぞくのあしあと』(ポプラ社)が完成。あっという間に2ヶ月がたってしまいました。

今回の『あしあと』は、2019年に出版した写真絵本『ヒロシマ  消えたかぞく』をより深めた内容です。絵本完成後に新たにわかった鈴木六郎さん一家の事実や、ヒロシマ での新しい出会い、そこから生まれた疑問や気づき、私自身が様々に動いたことなど、この数年にわたる軌跡を描いています。絵本で紹介しきれなかった六郎さん一家の写真も、たくさん載せています。

実は今年に入ってからもギリギリ4月中ばばまで原稿を書いていて(最後の取材は今年3月後半〜4月上旬)、その後は見直し修正、6月は校正作業や図版づくりに明け暮れ、約半年の間、ヒロシマ、そして六郎さん一家とびっちり向き合う日々でした。

8月初旬には、できたてほやほや、まだインクの香りがする本を持って取材でお世話になった方々をめぐり広島〜大阪へ。80代後半〜90代になる皆さんの健康状態をずっと気にかけていましたが、訪問時には新刊本を手渡しでき、それぞれの元気な笑顔を見ることができて心底ホッとしました。やっと終わった...。

 

実はこの間、7月21日「まさに今日、本が店頭に並ぶ!」という日の夕方、道でコケて大捻挫。

やっと普通に歩けるようになったところで広島〜大阪の旅。しかし灼熱の8月上旬、毎日歩き回って暑さバテ。

それもなんとか回復してきたころに、台所で沸騰した小鍋を倒して足をヤケド...

本づくりが終わってからも怒涛の日々でした。超おっちょこちょいは子どものころからですが、「ひとまず休養せぇ」ということなのかも...。

ね、六郎さん、きみちゃん...

 

そんなわけでここしばらくゆっくりし、いまはボツボツと稲刈り作業をしています。

秋の夜長、ぜひ『ヒロシマ   消えたかぞくのあしあと』を手に取っていただき、ヒロシマ に、そして平和やいのちについて思いを馳せていただければ幸いです。

こんな日、こんな時だからこそ...

六郎さん一家の写真を、本づくりの作業用にスキャン・プリントしたもの
 
大阪の能勢在住の辻靖隆さんには、少年時代(戦争中)の日記や絵をご協力いただきました。
一つ一つが時代を映し、ものがたり、貴重な記録になっています。
戦争が子どもたちのやわらかい心に、どうしのびこんでいったのか、
今の時代と照らし合わせて読んでほしいと思っています