2019-08-15

人が生きる姿に希望... インタビュー


8月15日、74年前のこの日を思い、そしてそこに至るまでの人々の日々を思って黙祷しました。私たちが生きているこの国だけでなく、多くの国の人々のことも思いながら。

 

『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本発刊に際して、著者インタビューということで、記事が紹介されました(ポプラ社HP)。

今回の絵本に込めた思い、またこれまで書いて来た作品にも触れつつ、ノンフィクション絵本を書く理由など、語っています。お時間が許せば、ご覧いただければ幸いです。

https://www.poplar.co.jp/topics/48367.html

 

埼玉は台風からだいぶ離れていますが、今日は時折ザーッと雨が降っています。雷雨の予報も。

昨夏の豪雨災害の爪痕がまだ残る中国四国地方の雨が気になります。大きな被害なく、台風が行き過ぎてくれることを願っています。




2019-08-12

8.6 絵本のNewsが記事に

今年の8.6朝のヒロシマは、台風の影響で、雨の中の慰霊のひと時となった

8月6日前後の数日、広島に行ってきました。

8.6の朝は平和公園を歩いて通り、広島城のお濠のところで行われた比治山女学校の追悼式に参列しました(原爆死没者74周年 追悼式)。年々、当時を経験された方々のお顔が少なくなっているのには、複雑な思いがあります。以前に取材をさせていただいた丘ヨシエさんも一昨年鬼籍に...。

でも、現在の比治山女子中学・高等学校の生徒さんたちの「平和の誓い」や折り鶴を献上する姿を目にして、「原爆の実相を知ること、平和への思いは地道に継承されている」とも感じました。

式の最後、毎年「行基」作歌の鎮魂歌「ほろほろと」を合唱します。その歌詞、調べの悲しさの深さ。この時ばかりはしばし暑さを忘れます。

 

ほろほろと     

             行基 作歌

ほろほろと

鳴く山鳥の 声聴けば

父かとぞ思ひ

母かとぞ思ふ

 

様々な思いを込めて、この夏に完成した『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本。

先日のNHKのニュース映像が記事化されました。継承することは気づいた者の役目とも思っています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190805/k10012022271000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_001




2019-08-05

絵本ができるまでのnews...

お話会の様子(写真:今回の絵本づくりで大変お世話になったK.Y.さんより)

7月に完成した『ヒロシマ 消えたかぞく』。

それに合わせて7月11日に、広島市内のbook cafeハチドリ舎でお話会&パネル展を開きました。平日だったにもかかわらず、たくさんの方がいらしてくれました。

その時の様子や、絵本ができるまでの様子を、NHK広島放送局が去年から取材をしてくれていました。先週、そのニュースが放送されました。

期間限定とのことですが、もしお時間があったらご覧ください。(8分ほど。小見出しをクリックor下のアドレスをコピペしてご覧になれます)

https://www4.nhk.or.jp/P2935/21/

アルバムを保管しておられた鈴木恒昭さんが、絵本ができたことをとても喜んでくれたのが、本当にうれしかった...。

きっと、六郎さんやきみちゃんたちも、空の上で見ていてくれるーーそう感じたひと時でした。

明朝は、広島で祈ります。




2019-08-01

『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本


この夏、ようやくできた絵本です。

太平洋戦争中の広島で、荷物疎開していたことで原爆の惨禍を超えて残った、ある家族の写真の数々。ーー当時の広島の様子、家族の温かな暮らし、子どもたちの笑顔、可愛がっていた犬や猫......両親と四人の子どもたちの日常。十数冊のアルバムや、他にも残されたたくさんの写真の数々に向き合い、周辺取材を重ねてまとめたものです。

でも、この家族は、原爆によって一家全滅したのです。

 

本づくりをしている中で私の根底にあったのは、もちろん原爆の恐ろしさ、戦争のむごさを、ページをめくる読者に共に感じ、考えててほしいということではありましたが、それと同じくらい大事に思ったことは、「家族」というテーマでした。

 

この絵本の中の写真を見るだけで、その子、その人なりに感じ、思い、心ゆさぶられることがたくさんあるのではないかと思うのです。私自身そうだったように。

 

絵本の中で紹介した「きみちゃん」は、昭和11年生まれ。生きていれば、今年83歳になります。私の父と同じ年....本づくりをしている時に、そのことにふと気づいて、愕然としました。

生きていれば、その後の人生でどんな人にめぐり合い、家庭を築き、もしかしたらたくさんの子や孫に囲まれて暮らしていたかもしれない....。そういう未来につながる人々をも、原爆は、戦争は奪ってしまったのです。そんな人が、家族が、どれだけあったことか。

 

作り手の思いもありますが、それはそれとして、この絵本を手にとってくださったお子さんたち、大人の方々、それぞれの身に沿わせてページを開いていただければ本望です。

写真提供/鈴木恒昭さん



2019-01-17

わすれない ぜったいに 1.17

  畑に咲いた はるかのひまわり 2018年初夏

あの日を そしてそれからの日々を

たくさんの だいじな命があったことを

ぜったいに わすれない

精いっぱい生きてきた 人たちがいることも

 

1.17という日は その日だけでなく

その場所だけでなく

それからの 多くのことにつながる ものごとを

わたしたちに 深く考えさせる 一つのスタートになった

 

今を生きるわたしたちは そのことを いま一度

心に刻み込まねば ならない

 

さあ いっしょに 種をまこう

 



2019-01-13

今年も足と体を使って書くぞ

暮れの実家での餅つきは、機械が壊れて、急きょ本物の餅つきに。こういう時、妙に張り切ってしまう

1月も10日以上過ぎ、お正月気分も抜けました。

写真を整理しながら、今ごろ去年のことを振り返っています。

結構旅に出たなあ、でも行く先々でエプロンかけて厨房を手伝ったり、野良着に着替えて農作業をしたり.......「どこでもすぐ働ける!」これがトレードマークになりつつあります。

「物書きは、体験がすべて大事な引き出しになる」とも言えますが、それよりなんでもやって稼がないと日々の暮らしが....という方が当たっているかも。

体力勝負ですが、汗をかくのは気持ちいいし、新しい体験は何より面白い。

今年もあちこち出かけて働くぞっ!、書くぞっ!と、今ごろになって新年の誓いを立てているのでした。

 

忍者のような姿は母

 

去年は稲刈りも順調で、いいお米が取れたなあ

 

伊良部島の島ラッキョウ畑で草取り/11月

 

皆さん、これが島ラッキョウの花

 

秋田の元滝と伏流水はまた絶対行きたい

 

同じく秋田、にかほの海に沈む夕日

 

夏『ぼんやきゅう』発刊時のお話会@釜石

 

鳥羽水族館にも

 

 




2019-01-01

謹賀新年

                     伊良部島にて

清々しく、のびやかに

実りある一年になりますよう




2018-11-10

絵本と防災のお話会


今日は午後から、地元でのお話会に参加してきます。

夏に出版された『ぼんやきゅう』絵本をメインに、東日本大震災後の被災地のことや絵本づくりあれこれを。

手土産に、なんと今、この時期に畑に咲いた復興のひまわりや、釜石のわかめ、沖縄の宮古島から苗(茎)をもらって育ててきたサトウキビの茎なども、持っていく予定です。

話題があちこち飛び、さてどんなお話になるか。




2018-11-09

稲藁、丸けます?


机仕事に疲れると、夕方ふらっと前の田んぼに出かけるこの数日。

一汗かきながら、ようやく藁束をくくる作業が終了。好きな仕事です。

ビニール紐なんて使わないで、藁でワラをくくるやり方。簡単なようで、実はなかなか。

縛るのではなく、藁数本を紐のように使い、端をクルクルっとねじって丸めて留める感じです。

我が家では、「藁を丸く(丸める+くくるの意味か?)」という言い方をします。

母がこういう作業がえらく上手で、まさに藁束づくりのプロ。それを見て、以前「わたしだってそれくらいできる!」なんて豪語したものの、紐にする藁が途中でブチっと切れ、何度やってもうまく括れず。できた!と思っても、ちょっと藁束を動かすと留めたところがすぐに解けて、藁がバラバラに.....。「あんた、無器用だね」と笑われ、(くそっ!)と舌打ちしていたのでした。

この数年、修行じゃないけど、秋になるとこの作業に傾注。ようやくコツをつかみ、この秋は100束ちかく丸めたかな(ちょっと自慢)。畑の野菜の敷き藁や草よけなどにする予定です。

近年、ウチの方では稲刈りと同時に藁をコンバインでカットしてしまうことが多く(あとで田んぼにすき込みやすい)、あんまり稲わら束を作らないのですが、やっぱりこういう風景や作業って、あったり、できると、なんかいいよなーと思うのです。

ちなみに、わたしの好きな香りは、稲刈り時のワラの乾いた香りと、春、田おこしした時の土の香り。子どもの頃はすっかり「ハイジ」でした。

昔は「お前って、いつになっても垢抜けないよな」とよく言われましたが、今はそういう自分が割と好きです。




2018-09-04

どっち? 防災タオルとラミネート

2012年に釜石でいただいた安否札。シンプルだけれど、これで実際に津波から助かった人が何人もいた

台風21号の被害が最小限でおさまることを願う今日です。

・・・

先日、各家に配布された防災の安否確認用黄色いタオルのことで、ふと。

洗ってたたんで...考え事をしていたら、オッと、いつものタオル置き場にそのままポン。もっとボーとしていたら、ずっとそのままってことがあるかも、と気づいた。

わたしは農作業(ほぼ草取り)もするから、何の気なしに首にかけて使っているかもしれない。夫はきれいな色が好きだから、汗止めよろしく、黄色タオルをグルグルねじってタコ焼き屋のおいちゃんみたいに使うことがあるかも。

ここで考える。

●普段使いできる物でいざという時に使える物は便利だけれど、この安否確認タオルは、果たしてどうか?

防災委員のおじさんが言っていた。「これ、来年の訓練にも使いますから、ちゃんと取って置いてくださいね。よろしくお願いします!」

ーーあれ、丸一年先まで、このタオルを各家庭がちゃんと取っておくかな? 今浮かび上がる素朴な疑問。玄関先に置いておくと、物が多い我が家では、やがて迷宮入りするのが自明。ならば特別な場所か防災グッズのそばに...となると、緊急時、すぐに玄関にかけられるかどうか ?なところもある。

そこで思い出すのが、やっぱりこの、釜石の中学生たちが考えたラミネート版「安否札」。これならふだん、玄関(内側)の靴箱や何かのフックにかけておくだけで場所を取らない。使用目的は「安否札」onlyだから、玄関以外に置く必要もない。タオルのように結ばないから、書いてある文字も一目瞭然、洗う必要もない。ラミネートに手間と多少のコストがかかるけれど、やっぱり優れている。

釜石の中学生たちは、これを手作りして地域一軒一軒に使い方の説明をして回った。子ども達が「こんにちはー!」と訪ねてくれて一所懸命懸な姿を見れば、じいちゃんばあちゃんや大人達だってうれしいし、いい加減には聞いてられない。これは安否札配布を通して、同時に地域に住む人達の顔を子どもも大人も互いに知る、絶好のコミュニケーションの機会でもあった。

「おはよう」「今日もいい日だな」「気をつけて学校さ行けよ」「おばあちゃん、元気してる?」「暗くなるのが早いから、おめ達、はやく帰れ」「うん、また明日ね」.....そうやって地域が緩やかにつながる、それが緊急時のスムーズな声がけや対応にもつながる。

黄色いタオルも、もちろん大事。でもその先を考えることも必要。ラミネートがベストかも含めて。考えるって大事だ。