絵本『ヒロシマ 消えたかぞく』がNHK WORLDで
みなさま、こんにちは。稲穂おばさんのSASHIDA です。
昨日(10/1)、NHK WORLD(海外発信)で、この夏に発刊した
『ヒロシマ 消えたかぞく』のニュース映像が紹介されました(2019.10.1)。
(上の、タイトル部分をクリックすると、10/1〜1カ月ほど観られるそうです)
お時間がありましたら、ぜひご覧いただければ幸いです。
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/videos/20190930212757655/
絵本に英訳をつけることは、取材段階から考えていました。
やはり、日本はもちろん、海を越えて多くの子どもたち、人たちに
見てほしいと思ったからです。
一つの家族の営みから、その背景(ヒロシマはもちろん、ナガサキも、
原爆で亡くなられた多くの方々・家族、そして戦争で命を落とされた
世界の多くの人々)に思いを馳せてほしいと。
私がこれらの写真を見て、そう気づいたように。
・・・
執筆の合間、というより、畑や田んぼの仕事の合間に執筆する日々です。
もともと農家に生まれ育った私には、稲の収穫時のなんとも言えない香ばしい香り、
また田おこしの頃の土の香りは、自分の「ベース」(基軸)を作ってくれた
大事な香り(+風景)です。
今日はようやく実家の稲刈りも終了。
地道にコツコツ、農作業も執筆も、心をこめて良いものを作っていきたいです。
*絵本情報 :『ヒロシマ 消えた家族』2019年7月刊(ポプラ社)
人が生きる姿に希望... インタビュー
8月15日、74年前のこの日を思い、そしてそこに至るまでの人々の日々を思って黙祷しました。私たちが生きているこの国だけでなく、多くの国の人々のことも思いながら。
『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本発刊に際して、著者インタビューということで、記事が紹介されました(ポプラ社HP)。
今回の絵本に込めた思い、またこれまで書いて来た作品にも触れつつ、ノンフィクション絵本を書く理由など、語っています。お時間が許せば、ご覧いただければ幸いです。
https://www.poplar.co.jp/topic
埼玉は台風からだいぶ離れていますが、今日は時折ザーッと雨が降っています。雷雨の予報も。
昨夏の豪雨災害の爪痕がまだ残る中国四国地方の雨が気になります。大きな被害なく、台風が行き過ぎてくれることを願っています。
8.6 絵本のNewsが記事に
8月6日前後の数日、広島に行ってきました。
8.6の朝は平和公園を歩いて通り、広島城のお濠のところで行われた比治山女学校の追悼式に参列しました(原爆死没者74周年 追悼式)。年々、当時を経験された方々のお顔が少なくなっているのには、複雑な思いがあります。以前に取材をさせていただいた丘ヨシエさんも一昨年鬼籍に...。
でも、現在の比治山女子中学・高等学校の生徒さんたちの「平和の誓い」や折り鶴を献上する姿を目にして、「原爆の実相を知ること、平和への思いは地道に継承されている」とも感じました。
式の最後、毎年「行基」作歌の鎮魂歌「ほろほろと」を合唱します。その歌詞、調べの悲しさの深さ。この時ばかりはしばし暑さを忘れます。
ほろほろと
行基 作歌
ほろほろと
鳴く山鳥の 声聴けば
父かとぞ思ひ
母かとぞ思ふ
様々な思いを込めて、この夏に完成した『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本。
先日のNHKのニュース映像が記事化されました。継承することは気づいた者の役目とも思っています。
https://www3.nhk.or.jp/news/
絵本ができるまでのnews...
7月に完成した『ヒロシマ 消えたかぞく』。
それに合わせて7月11日に、広島市内のbook cafeハチドリ舎でお話会&パネル展を開きました。平日だったにもかかわらず、たくさんの方がいらしてくれました。
その時の様子や、絵本ができるまでの様子を、NHK広島放送局が去年から取材をしてくれていました。先週、そのニュースが放送されました。
期間限定とのことですが、もしお時間があったらご覧ください。(8分ほど。小見出しをクリックor下のアドレスをコピペしてご覧になれます)
https://www4.nhk.or.jp/P2935/
アルバムを保管しておられた鈴木恒昭さんが、絵本ができたことをとても喜んでくれたのが、本当にうれしかった...。
きっと、六郎さんやきみちゃんたちも、空の上で見ていてくれるーーそう感じたひと時でした。
明朝は、広島で祈ります。
『ヒロシマ 消えたかぞく』絵本
この夏、ようやくできた絵本です。
太平洋戦争中の広島で、荷物疎開していたことで原爆の惨禍を超えて残った、ある家族の写真の数々。ーー当時の広島の様子、家族の温かな暮らし、子どもたちの笑顔、可愛がっていた犬や猫......両親と四人の子どもたちの日常。十数冊のアルバムや、他にも残されたたくさんの写真の数々に向き合い、周辺取材を重ねてまとめたものです。
でも、この家族は、原爆によって一家全滅したのです。
本づくりをしている中で私の根底にあったのは、もちろん原爆の恐ろしさ、戦争のむごさを、ページをめくる読者に共に感じ、考えててほしいということではありましたが、それと同じくらい大事に思ったことは、「家族」というテーマでした。
この絵本の中の写真を見るだけで、その子、その人なりに感じ、思い、心ゆさぶられることがたくさんあるのではないかと思うのです。私自身そうだったように。
絵本の中で紹介した「きみちゃん」は、昭和11年生まれ。生きていれば、今年83歳になります。私の父と同じ年....本づくりをしている時に、そのことにふと気づいて、愕然としました。
生きていれば、その後の人生でどんな人にめぐり合い、家庭を築き、もしかしたらたくさんの子や孫に囲まれて暮らしていたかもしれない....。そういう未来につながる人々をも、原爆は、戦争は奪ってしまったのです。そんな人が、家族が、どれだけあったことか。
作り手の思いもありますが、それはそれとして、この絵本を手にとってくださったお子さんたち、大人の方々、それぞれの身に沿わせてページを開いていただければ本望です。

わすれない ぜったいに 1.17
あの日を そしてそれからの日々を
たくさんの だいじな命があったことを
ぜったいに わすれない
精いっぱい生きてきた 人たちがいることも
1.17という日は その日だけでなく
その場所だけでなく
それからの 多くのことにつながる ものごとを
わたしたちに 深く考えさせる 一つのスタートになった
今を生きるわたしたちは そのことを いま一度
心に刻み込まねば ならない
さあ いっしょに 種をまこう

今年も足と体を使って書くぞ
1月も10日以上過ぎ、お正月気分も抜けました。
写真を整理しながら、今ごろ去年のことを振り返っています。
結構旅に出たなあ、でも行く先々でエプロンかけて厨房を手伝ったり、野良着に着替えて農作業をしたり.......「どこでもすぐ働ける!」これがトレードマークになりつつあります。
「物書きは、体験がすべて大事な引き出しになる」とも言えますが、それよりなんでもやって稼がないと日々の暮らしが....という方が当たっているかも。
体力勝負ですが、汗をかくのは気持ちいいし、新しい体験は何より面白い。
今年もあちこち出かけて働くぞっ!、書くぞっ!と、今ごろになって新年の誓いを立てているのでした。
忍者のような姿は母
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去年は稲刈りも順調で、いいお米が取れたなあ
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伊良部島の島ラッキョウ畑で草取り/11月
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秋田の元滝と伏流水はまた絶対行きたい
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同じく秋田、にかほの海に沈む夕日
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夏『ぼんやきゅう』発刊時のお話会@釜石
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鳥羽水族館にも
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絵本と防災のお話会
今日は午後から、地元でのお話会に参加してきます。
夏に出版された『ぼんやきゅう』絵本をメインに、東日本大震災後の被災地のことや絵本づくりあれこれを。
手土産に、なんと今、この時期に畑に咲いた復興のひまわりや、釜石のわかめ、沖縄の宮古島から苗(茎)をもらって育ててきたサトウキビの茎なども、持っていく予定です。
話題があちこち飛び、さてどんなお話になるか。
稲藁、丸けます?
机仕事に疲れると、夕方ふらっと前の田んぼに出かけるこの数日。
一汗かきながら、ようやく藁束をくくる作業が終了。好きな仕事です。
ビニール紐なんて使わないで、藁でワラをくくるやり方。簡単なようで、実はなかなか。
縛るのではなく、藁数本を紐のように使い、端をクルクルっとねじって丸めて留める感じです。
我が家では、「藁を丸く(丸める+くくるの意味か?)」という言い方をします。

母がこういう作業がえらく上手で、まさに藁束づくりのプロ。それを見て、以前「わたしだってそれくらいできる!」なんて豪語したものの、紐にする藁が途中でブチっと切れ、何度やってもうまく括れず。できた!と思っても、ちょっと藁束を動かすと留めたところがすぐに解けて、藁がバラバラに.....。「あんた、無器用だね」と笑われ、(くそっ!)と舌打ちしていたのでした。
この数年、修行じゃないけど、秋になるとこの作業に傾注。ようやくコツをつかみ、この秋は100束ちかく丸めたかな(ちょっと自慢)。畑の野菜の敷き藁や草よけなどにする予定です。
近年、ウチの方では稲刈りと同時に藁をコンバインでカットしてしまうことが多く(あとで田んぼにすき込みやすい)、あんまり稲わら束を作らないのですが、やっぱりこういう風景や作業って、あったり、できると、なんかいいよなーと思うのです。
ちなみに、わたしの好きな香りは、稲刈り時のワラの乾いた香りと、春、田おこしした時の土の香り。子どもの頃はすっかり「ハイジ」でした。
昔は「お前って、いつになっても垢抜けないよな」とよく言われましたが、今はそういう自分が割と好きです。




