釜石・希望の壁画の記事
できたてほやほやの子ども雑誌『ちゃぐりん』3月号。
こちらに、釜石の「こすもす公園&希望の壁画」を
書きました。
去年夏から取材していたテーマです。
震災から間もなく4年。
この壁画が釜石のランドマークになって
あちこちからたくさんの人や子どもが来てくれるといいなあ、
地元の人も、ホッと一息つきにきてくれるといいなあと
思っています。
『ちゃぐりん』、読んでみたい方は、最寄りのJAさんへ!
目をさませ…
去年の春以降、仮眠状態に。
ぼんやりしながら悶々と、あーでもない
こーでもないと、ウトウト。
そろそろ、起き出さないと。
久しぶりに外へ出ると、この青空。
春近し。やっと、目が覚めた。
ムーミンみたい。
やることがたくさんあるぞ。
この夏には、広島の本。
来年1月には、釜石の絵本。
空ってこんなに広くて、きれいだったんだ。
p.s. 満月phは、中目黒駅周辺から。
釜石から秋田・にかほへ
15日、釜石の仕事を終えて、一路秋田へ。
そして昨日には男鹿半島一周の後、
にかほ市象潟へ来ました。
今日はこれから、象潟公民館で
「いのちを守る
〜東日本大震災・津波からいのちを守った子ども達」
の講演です。わたしが釜石で見てきたこと、取材したこと、
絵本で描いた子どもたちの様子などをお話します。
秋田の沿岸部は昭和58年に、日本海中部地震・津波で
大きな被害が出ています。
釜石の、今回の震災で被害を受けた地域の状況や情報を
共有することで、今後の防災や「いのちを守る」ことに対して、
何か一つでも、にかほのみなさん、お子さん達に役に立つ
情報がお伝えできたらと思っています。
少し緊張ですが、楽しみでもあります!
東北の山、なごり雪
4/6に埼玉を出発、途中北上で一泊して今月も釜石へ。
途中、一関あたりだったか、夜には雪が。
「ヒー、やっぱりまだスタットレス・タイヤは要るよね」
10分ほど走っているウチに、雪はやみましたが、いやいや、
油断ならんならん。
そういえば震災のあった2011年は、岩手では5月過ぎても
寒かった記憶が鮮明に。
北上一泊の後、翌7日は晴天だったものの、大暴風。
遠野市街地を通り過ぎたあたり、ふと45号線の左側に目をやると、
山にはうっすら雪景色の六角牛山。
日差しは限りなく春ですが、まだ冬の名残が感じられる岩手です。
ちなみに、遠野の桜はまだ、蕾もさほどふくらんでいない状況。
満開の花見は、4月下旬ころか。
ついしんーーー
再開した列車(南北リアス線)のホットなニュースが
世の中をにぎわせているこの数日。
今週末には、いよいよ釜石〜花巻間を走る「SL銀河」が
運行を開始する予定。釜石駅にはこんなポスターも。
わたしもいつか、乗ってみたい!
広島原爆資料館にて
先日、岡山ー広島へ出かけた折、久しぶりに原爆資料館へ。
『海をわたったヒロシマの人形』の絵本づくりで
たいへんお世話になった資料館の職員の方としばし雑談。
その後、1階の休憩ルーム(売店)へ。
(よくここで、宇根さんと話をしたよなあ……)
*宇根さんは、長年原爆献水をされてきたおばあちゃん。2012年に没。
と思いながら、窓の外の被爆アオギリの木に目を移しつつ…
「あ、絵本っ!?」
なんと、棚の上にその絵本が。
うれしいひと時でした。
あの本は、わたしが書いたけれど、〈宇根さん自身の本〉だと
感じています。宇根さんと長い期間かけて話し、聞いた体験談が
わたしの体を通って、文字(ことば)になって出てきたもの。
資料館にいらした方々、お子さんたちが、休憩ルームで
ホッと一息ついたとき、ページをめくってくれたら、
宇根さんもどれだけよろこぶことか。
なんだか、あの休憩ルームのどこかに宇根さんが座っていて、
ニコニコ笑ってこちらを見ているような気さえしました。
ヒロシマを今につながる問題として、伝える題材、まだまだ
あるような気がします。東北に通いながら、そのあたりを
じっくり見て、考えていきたいと思っているこのごろです。
p.s.
原爆資料館は、3/18から〈全面刷新にむけた4年がかりの大改修〉
工事に着工。規模は縮小するものの、資料館は工事は期間中も
開館しています。広島を訪れる際には、ぜひ資料館へも!
本を読む…
最近読んでいる本。
『楽しいムーミン一家』、『足長おじさん』、
『大きな森の小さな家』、『銀河鉄道の夜』、
『橋の下のこどもたち』などなど。
ムーミンを読んでいたときには、つい話に引き込まれて
下車予定駅を乗り過ごしてしまうという失態。
しんどいニュースやどこか気の抜けた空騒ぎ的
番組が多い中(個人的な意見ですが…)、
どこかホッとしたものを求めたい無意識の選択なのかも。
今日、本屋さんで思わず手にしてしまったのは
『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。
だいじなことは、目をそらしてはならないと思う。
「人間はかならずまちがう、だからこそ、そのあとをどう生きるか」
「気づいたときから、やり直す勇気」
花森安治さん、そして井上ひさしさんも、たしかそんなことばを
のこしていた。
しっかり読んでおきたい。
そうでなくちゃ、浮かばれない。
旅ガラス
2月後半からずっと移動つづきです。
大阪〜神戸(この後、いろいろあって数日病院通い)、
その後、釜石(3.11前後)、帰って翌日には静岡、
そのまま倉敷(岡山)〜広島。
諸々用を済ませ、数日前にやっと家に着いたところです。
移動中は緊張もしているし、途中で倒れる訳にもいかないので
とにかく前を前をと向いて目の前の予定と時刻をこなしていく
緊張の日々ですが、帰ってくるなり、フニャ〜。
どこかボーッとして、体も頭もごっつう重っ…。
呼ばれても反応が鈍い、お茶を飲みながらうたた寝する、
一杯のむと、もうグデグデ。
やっぱり、ツケってあるんだなあ。
「あんた、もう若くないんだから」のことばに、ギョギョッ。
♪女一人旅 どうしてこんなに〜〜〜 ……♪
八代亜紀がリフレイン。
とにかく、今は宿(家)に籠るスズメ?鶏? 的生活です。
(そういえば、今日は外でヒバリの声を拝聴。Wow!)
でも静かにしていると、やっぱりまたウズウズ。
鳥っていいなあ〜。雲っていいなあ〜 自由気ままに西へ東へ…
で、スケジュール帳を見ながら目が泳ぐ…。
これは旅病というより、やっぱりもう、この20年の習性です、ハイ。
そのためにも、体調管理、しっかりせねば。
それから、記録に残さねば。
4月は岩手・釜石と秋田のにかほメインでしばらく留守に。
おっ、やっと頭がピシッと冴えて来きたぞー!
p.s. 出かけた先)
大阪・能勢町の小学校ーー神戸・あしなが育英会・レインボーハウス
静岡県森町ーー岡山・倉敷市ーー宇野港ーー広島市・平和資料館
ーー広島・海田町ーー Finally I came back my home in Saitama!
*交通費を稼ぐために働いているような日々です……トホホ。
映像ーとうほくのこよみのよぶね
釜石から家に帰り、すぐに所用で静岡へ。
明日からは岡山〜広島です。
せわしない日々ですが、
そんな中でも、先日の3.11の釜石で見た、
あの夕方の海の風景は忘れられません。
静かで、かなしくやさしく美しかった。
だれかと共有したくて。
根浜海岸にただよう〈とうほくのこよみのよぶね〉
しずかな波音に、たゆたう船。
かなしいけれど美しい光景。
あの世とこの世をむすぶ灯り。
じっと海を見つめる人たちの影が
わたしにはとても強く印象にのこりました。
3.11 風船に乗せて
3.11、午後2時46分。
このときを、根浜海岸で迎えました。
宝来館のみんなやお客樣方、立ち寄られた方々と
願いをこめたメッセージを書いた風船を手に。
海に見える船は、海上保安庁の船です。
地震がきたあの時間、一斉にサイレンが鳴らされ、
みなで海に向かって黙祷を捧げました。
その後、風船を空に。
あの地震と津波を越えてこの3年の時間を生きてきた
方々の気持ちを思うと、簡単にことばが出てきません。
「生きていてよかった」と、生き残った方々がせめてそう
思える、言えるようになるようなサポートや、被災地の現状を
伝えつづけること、行政の対応に物を言っていくことこそ、
わたしたちみなのできること、役割ではないかと思う日々です。